神武東遷〜日向国から大和国までの「日本建国物語」をたどる-1

神武東遷〜日向国から大和国までの「日本建国物語」をたどる

神武東遷は、初代天皇誕生の日本建国物語。初代天皇である神武天皇は宮崎で生まれ育ち、日本を治めるために東へと旅立ちました。奈良県の橿原市で初代天皇に即位するまでの物語が神武東遷として語り継がれています。ここでは宮崎を中心とした足取りをご紹介します。

宮崎県高原町にある「狭野神社」は神武天皇ご生誕の地

第五代孝昭天皇の御代に神武天皇ご生誕の地にご創建されたと伝えられる「狭野神社」。
神武天皇のご幼名である狭野尊(サノノミコト)は当時の地名である狭野に由来すると伝えられており挟野神社から西に1kmほどにある末社の「皇子原神社」がご生誕の地といわれ、お社の裏手には生誕の際、産湯(うぶゆ)を取られたという「産婆石(うべいし)」、参道の途中には神武天皇が腰を掛けられたという「御腰掛石(おこしかけいし)」など、周辺にはたくさんの神武天皇にまつわる伝承が残っています。

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日本一長い直線の参道-1

日本一長い直線の参道

狭野神社の参道は直線の参道としては日本一の長さと言われており、参拝へ向かう杉並木は神秘的な空気がはりつめ、心が清められます。

民の幸せを願い、都を中央に遷すため東遷計画を策定した「宮崎神宮」

15歳で皇太子に即位された神武天皇は、生まれ育った挟野神社の地から宮崎市にある「宮崎神宮」の西北600mの小高い丘の上にある皇宮神社に宮居されました。しかし、未だ全国統一がなされず皇威が全国に輝くという時代ではなかったため、天下万民が幸せに暮らせることを願い、45歳のときに都を中央に遷すべく、兄弟や子供たちと東遷計画を「宮崎神宮」で策定したと言われています。

宮崎県児湯郡都農町の「都農神社」は東遷に向けた祈念の地

神武天皇が東遷に向かう際に、国土平安、海上平穏、武運長々を祈念し御祭神を鎮祭された宮と伝えられる「都農神社」。現在もたくさんの神事や願掛けができるパワースポットとして人気があります。

御船出の地は「美々津港」、航海の安全を祈念した「立磐神社」

神武天皇は東遷に向け美々津港で船の建造にとりかかりました。立磐神社の境内には神武天皇が腰掛けて身を休めたとされる「御腰掛岩(おこしかけいし)」などもご聖蹟として祀られています。
海に漕ぎ出す機会をうかがっていた神武天皇は旧暦8月1日の夜明け前に天候が回復したことから急遽、船出を決意します。
早朝の出発のため「起きよ、起きよ」と人々を起こしてまわったことから、今でもこの日には子どもたちが短冊を付けた笹竹を振りながら同様に住民を起こして周る「おきよ祭り」が行われています。
また、御餅を献上しようと準備を進めていた住民は、出発が早まったことから慌てて餅と小豆をつきまぜて献上したと言われる「つきいれ餅」なども地域の銘菓として親しまれています。

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美々津は海軍発祥の地-1

美々津は海軍発祥の地

日向市美々津は神武天皇の御船出の地、つまり天皇が統帥された日本最古の海軍発祥の地として記念碑も建てられています。

初代天皇が誕生した「橿原神宮」(奈良県橿原市)

神武天皇は美々津をご出発になられて7年目、幾多の困難を乗り越え大和入りを果たした神武天皇は新暦2月11日に初代天皇として橿原の宮にて即位されます。これが日本という国の建国の瞬間です。
宮崎から始まる日本建国までの物語「神武東遷」。宮崎に点在する観光スポットを巡り神武天皇の足跡をたどってみてはいかがでしょうか。

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